歴史

ラスベガスはネバダ州にあり、古くから砂漠の中の「不夜城」と呼ばれています。ネバダ州がギャンブルを合法化したのは1931年のことです。その当時は人口が2万人にも満たなく、砂漠の中のさびれた町でした。世界のラスベガスへと変貌を遂げたのは、ここ50年ほどのことです。

〈1940年代〉
発展のきざしが見え始めるのは、第二次世界大戦が終わってしばらく経ってからです。1940年代には、今でもその名をラスベガスに残すカジノ「フラミンゴ」が開業します。しかし、この時点ではフーバーダムの建設のために集まってきた作業員たちがギャンブルを楽しむささやかなカジノの町でしかありませんでした。ラスベガスのストリップエリアの開発は、この年に始まっています。一方、ラスベガス発祥の地ダウンタウンエリアの形成の始まりは、1900年初頭のことです。

〈1950年代〉
1950年代になると、「デザートイン」「サンズ」「サハラ」「リビエラ」などが次々とオープンします。そして、ラスベガスは本格的に始動しはじめるのです。

〈1950〜1990年〉
ストリップ
ラスベガスはロサンジェルスやハリウッドと近い距離にあることから、ハリウッドスターや芸能関係者がラスベガスの街の発展に大きく寄与しています。1950年から1990年までの間、アメリカは好景気と共に長い不景気を経験します。その時代の中で、ラスベガスには富と夢の時間を求める人が集まります。そして、ラスベガスで繰り返される刹那的なギャンブルがラスベガスの町の原動力となり、とても健全とは言えない町としてその存在を世界中に知らしめます。


〈1990年代〉
フリーモント・ストリート
そんなラスベガスのイメージが一新するのは、1990年代に入ってから次々と登場したテーマパーク型巨大ホテル群です。また、ダウンタウンエリアにダウンタウン商工会が7000万ドルという巨額の費用を投じて、フリーモント・ストリートの大改修工事に取り掛かり、1995年12月頭上に210万個の電球を天井にちりばめた電飾アーケードを完成させています。

ここはThe Fremont Street Experienceとして24時間の歩行者天国があり、「世界一華やかなストリート」と世界中のラスベガスファンから呼ばれています。(現在は、210万個の電球は、1250万個の発光ダイオードに変わり、画面もダイナミックなものへと変わっています)ギャンブルの町から、家族ぐるみで楽しめる、総合エンターテイメントシティへと変わってゆきました。

〈2000年〜〉
明るいネバダ州の太陽の下、ラスベガスは益々大きく前進して行きます。2000年に入って、ラスベガスは大人向けの高級総合アミューズメントシティを目指していると言われています。また、カジノやテーマパークとは別の路線として、コンベンション都市として脚光を浴び、その周辺に住宅街が広がり始めました。毎週のように大きなビジネスショーや国際見本市が開催され、世界的規模のコンベンションが誘致されています。


今、ラスベガスは全米で経済、人口ともに成長都市として注目されています。